2008年 03月 04日
「ことばに たましいがある」 という考え方は わが国独特のものかというと
そうでもなくて アリババと四十人の盗賊の 「開けゴマ」などという 「呪文」 は ことばに 力 があるという考え方でしょう。 〇 ただ 日本の 「ことば」 の成り立ちは、 深い 「ことば」 とは 「ことのは」 の つづまったもので 「言の葉」で「事の葉」であり 葉 は 「郵便はがき」の 葉がきの葉で 「言の葉、事の波」 であり 事 は 「物事」 の事であり、 「やまとことば」その弐 で述べた ヒフミ~ ・・・・・ ~ヤコト の 九 十 で 九十(こと) は 九重の宮中から、十の天神への 祝言、祝詞(ノリト)であり 又、 十(ト)の天神から 九(九重)の宮中へ 人の種を降すための 場所を 十 九(床)トコ と言います。 〇 「ことば」 の成り立ちは 「一音一意」 であり、その組み合わせで 単語が出来ているものが多く、分解すると源意があらわれてくるものがあります。 「文字」 も 「一音一字」 で太古からあり、それは 宇宙の真理から 導き出された宇宙の 波動 を「音」としてとらえたもので、 まさに 「言の波(葉)」 であり、それに、「意味(いわれある)を持つ」 記号としての文字を当てたものである。 ことのは(言の葉(波))は、宇宙の波動であり これをあやつることにより、 共鳴という形で天地を動かした。・・・・という・・・・ 神話なのか、本当の事なのか、空海は知ったかも、・・・・ 続く #
by hokorin-touchan
| 2008-03-04 15:00
| 日本語の語源
2008年 03月 02日
「歌が空を飛ばなくなった」・・・・・
昨年亡くなった 作詞家の阿久悠さんの つぶやき です。 この国の 人の心に染みる歌は やはり、「やまとことば」なのでしょうか 〇 あなたが、 かんだ、 こゆびが、 いたい・・・・・ くちづけ のこり香 たばこの けむり・・・・・ 昭和の歌謡曲は、 やまとことばで綴られていた唄が 多かったようです. 〇 言霊が飛び交っていたのでは ないかと思います。 「やまとことば」にも、 古代の「初期やまとことば」の他、中国から 文字が 伝わってのち、 それを意訳することで出来た「後期やまとことば」があり、 それらも 千年もたてば この国の人の 心に侵み入り こころ安らぐ やまとことばに、なりました。 ただし、 あめつち(天地)を動かすことが出来た言霊とは 「初期やまとことば」だけです。 〇 古今和歌集(905年)の序に紀貫之は、 やまとうたは ひとのこころを たねとして よろつの ことのはとそ なれりける・・・・ 中略 ・・・・いきとしいきるもの いつれかは うたをよまさりける ちからをもいれつして あめつちをうこかし めにみえぬ おにかみをも あはれとおもはせしめ をとこ をんなの なかをもやはらくるは うたなり このうた あめつちひらけ はしめるときより いてきにけらし あまのうきはしのしたにて。 〇 江戸初期の狂歌に 歌詠みは 下手こそよけれ あめつちの うごきいだして たまるものかは、 とあり 天地が動き出しては、大変だから、歌は下手がいいと、茶化している。 が・・・・ ことばには 「たましい」 があり それをあやつることにより あめ、つち も動き、 おに、 かみ、をも鎮めたと・・・・ 〇 紀貫之が紀の国から 都へ帰る途中、和泉の国で、 乗っている馬が、急に病気になり 動かなくなった、 その地の、蟻通しの神の仕業だと知って かきくもり あやめも知らぬ大空に ありとほしをば 思うべしやは、と 詠んで奉ると、馬は元気になった。 又、能因という人が 伊予の国で その国の一の宮 三島明神に 天の川 苗代水に せきくだせ あまくだりませ 神ならば神 という歌を捧げて祈った所、三、四ヶ月も降らなかった雨が降った、と、 しかし これらの話を伝えている 「源俊頼」の歌論書 「俊頼髄脳」(1113年)は 歌がこのような 力、 を もっていたのは、昔のことであろうか、 このごろは、そういうことが あるともみえない、と 記している 続く #
by hokorin-touchan
| 2008-03-02 22:39
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