2008年 01月 18日
① 「あいうえお」 は、古代にありました。
② 「いろはにほへと」 は、弘法大師 空海 の創案とも言われているが・・・・ 検証してみましょう。 〇 空海は延暦二十年(801) 入唐求法にあたり、勅許を得て、 伊勢内宮に一千日の参籠を行い、往復の無事を祈願している。 〇 延暦二十三年、遣唐使の船で入唐、三年の留学後、帰朝する。 〇 又、のちに、嵯峨天皇の勅命によって、伊勢の内宮に参籠し、 十種神宝図を転写している。 △ 「トクサタカラ」とは、 〇 沖津鏡、辺津鏡、叢雲剣(ムラクモ)、ウなる玉、魂返し玉、 チ足る玉、道あかし玉、大蛇比礼(オロチヒレ)、羽々雷浸む比礼、(ハハチシム) 木ノ葉比礼、この十種(トクサ)なり。 とあり 痛むこと、有らば一二三四,五六七八九,十まで数えて、振るゑ、 ただ、ユラユラ振るゑ。 斯く為せば、すでにマカるも、ヨミがえる、振るの事ぞとミコト宣り。 と、記された神道の秘宝のことで、図の転写となっているが、 空海は秘蔵されていた、実物を、紙に書き写したのでは、なかろうかと思われます。 〇 十種宝高野山本といわれるのが、これです。 高野山 金剛奉寺 熊野道場 とあり、 梵字が書き加えられている。 〇 いずれにしても空海は、一千日の参籠の際、神道のすべてを習得した上で、 唐に渡ったと思われる。 〇 帰朝後、眞言密教を興す訳ですが、この「眞言」というのは、 「まことのことば」ということで、「言魂」の働きを表したのでしょう、 空海は、たくみに、仏教の奥に神道を畳み込んで、 独自の眞言密教を興したのでしょう。 一部証拠に、密教は、仏教には少ない、ハラヒ(祓霊)の要素の強い密教です。 〇 眞言密教が神道と関係あり、などと言うと驚愕される方もありましょうが、 これが日本の特質ですし、 本来神道というのは宗教ではないのです。 「神道」という名の通り、神の道で、神の道は、人の道なのです。 人の道は、国の道です。 宗教ではないから、あらゆる宗教を受け入れ、庇護もして来ました。 〇 仏教が渡来したのは(538年)二十九代 欽明天皇の時で、 仏教が後宮に入ったのは、三十代 敏達天皇の時、 〇 三十一代 用明天皇は(蘇我氏の娘を母に持ち)、信者になりましたが 仏教を信じても、日本の神の祭りは絶やしませんでした。 皇女を伊勢神宮に仕えさせています。 〇 後年(749年)、奈良の大仏鋳造の折は、九州の宇佐神宮からも 大量の銅や資金を送っています。 これが 日本の伝統です。 ◎ 脇道に逸れました、脇道が面白いのですが、 次回は元に戻します。 続く
by hokorin-touchan
| 2008-01-18 16:04
| 日本語の語源
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