2008年 01月 25日
〇 この国の人の物の見方は、お茶の集大成とともに
つまり、利休の頃に、頂点を極めますが、それはこの国独特のもので、 他国とは基準が違うようで、細々ながらも現代まで受け継がれています。 〇 中国の美術品に、大きな象牙を、親、子、孫と三代かけて精巧に彫り上げた、 素晴らしい、至宝とも言われる品がありますが、 日本人の感性では、それよりも、良寛さんが近所の子供にせがまれて、 凧のために書いた 「天上大風」 の書の方が欲しい・・・・ 〇 かの国の人には納得できないでしょう・・・・ 価値が違うと、1本 何百万円 の象牙、高い技術力による精巧な細工、 かけた年月(時間)とその代価、国宝級の価値・・・・ かたや、一枚の紙 20円ほどと、墨少々、労力も時間もほとんどなし・・・・ 字も下手で、こんな字は子供でも書く、と 〇 漢字の本家、書の国では、良寛さんの字は、評価されないようです。 一に国柄の違い、 二に文字に対する考え方、評価の基準が違います。 〇 古来、書には書聖と称された 王義之、の他 王献之、王珣 等の 法書、法帖があり、その後起こされた流派があり、流儀、様式があり、 その前に文字について、一線一画に、結構という決まり事があります。 タテの線は、こう引く、 点は、こう打つ、 ハライはこう・・・・と それを踏まえて、流派を起こした 祖の書いた文字に、 一番近い文字を書くのが、いい字であると・・・・ 〇 王義之の法帖も、臨書された同じ物がいくつもあり、 どれが真跡か、いまだに議論されています。 〇 さて、良寛さん・・・・ この一枚の紙に引かれた 一本の線 ひとつの点に、 良寛さんの 価値の中身 が入って居り、 それは震動しており、波動を放射しています。 その波長、波形は、お日様、お月様からのものと同じようであり、 日なたぼっこの様に暖かく、名月を観るように、さえざえと物、想わせます。 〇 価値の中身とは、 良寛さんの精神性から生まれた 気韻 であり、 気韻は又、彼の品格と個性から醸し出されます。 個性は、先天的自己(生まれながらに、天から与えられたもの)と 後天的自己(本人の真理追求の努力に依って、培われたもの) で 品格は又、求道の末、彼の書にもある 「任天真」 (自分を捨てて、天に任せる) の心境に達した処から 生まれたものでしょうか。 求道の道とは、 人として どう生きてゆくべきかを示し、考えて、学ぶためのものです。 〇 日本には、茶道、華道、書道、香道、柔道、剣道など、 道のつくものがたくさんあり、 「茶道の定むる所は、規則ではなく、物の道である」の通り 書道は筆技ではなく、華道は花の生け方ではなく、 すべて 物の道、人の道を学ぶためのものでしょう。 〇 ここに顕現するものが 「芸術は、その内容であり、内容はその個性である」 と云うことになりましょう。 この項 続く (いつもは削る所を、あまり削らずに残してみました。)
by hokorin-touchan
| 2008-01-25 15:45
| 物の見方
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